年代 |
田中千代 |
社会一般 |
1906 (明治 39) |
- .8月9日、のちの外務大臣男爵松井慶四郎、照子の4人兄弟の長女として、東京府芝区(現・港区)田町7丁目に生まれる
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1923 (大正 12) |
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1924 (大正 13) |
- 10月 理学博士子爵田中阿歌麿の長男で経済地理学者の田中薫と結婚
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1925 (大正 14) |
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1927 (昭和 2) |
- 東京・御茶ノ水の文化学院大学部に入学
- アテネフランセへ通い語学の勉強をする
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1928 (昭和 3) |
- 文部省の在外研究員に選ばれた夫薫に同行して初の欧米留学
- ケンブリッジで開かれた国際地理学会に出席する薫に同行、ロンドンのニューナム・カレッジの夏季大学に参加
- オックスフォードで語学の勉強
- 冬はブライトンに移り、近くの洋裁教室に通う
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- 普通選挙法により初の総選挙
- 関東軍の列車爆破で張作霖死亡
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1929 (昭和 4) |
- パリに滞在。図書館、博物館、美術館に通い、ベル・エポックのパリの芸術に浸る
- ベルリッツで語学の勉強をする
- 国際地理学会の研修旅行に参加、デンマークの農村からピレネー山脈地帯を研修、一行と別れてピレネーを車で横断する
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- ニューヨーク株式市場の大暴落から世界恐慌始まる
- 産業合理化政策進む
- ツェッペリン伯号来日
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1930 (昭和 5) |
- スイス・チューリッヒの「ディ・モーデ・ウント・トラハト・シューレ」(流行と衣装の学校)に入学 バウハウス派のオットー・フォン・ハスハイエ教授に師事
- ドイツ・ケルンの「ディ・クンスト・ウント・ゲベルベ・シューレ」 (美術工芸学校) に学ぶ
- フランクフルトでボディーの作り方を学ぶ
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- 金の輸出解禁
- 失業者300万人
- 浜口首相狙撃される
- ロンドン海軍軍縮会議で日英米三国条約調印
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1931 (昭和 6) |
- ディ・モーデ・ウント・トラハト・シューレ修了
- 田中薫に同行して渡米、ニューヨークの 「トラぺーゲン・スクール・オブ・ファッションに学ぶ
- 9月末、欧米留学より帰国。帰国の船上でカネボウ創始者である武藤山治氏夫人千世子さんと出会う
- 10月、帰国後、兵庫県武庫郡住吉村縄手下 (現、神戸市東灘区住吉山手5丁目) に家を借りて住む
- 10月 婦人の友の依頼で「洋裁講集録」のデザイン部門を執筆
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- 満州事変
- 北海道、東北の冷害深刻、娘の身売りが続出
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1932 (昭和 7) |
- 3月、大阪・心斎橋にカネボー・サービス・ステーション が開店、武藤千世子夫人からデザイナーの依頼を受ける
- 5月、兵庫県武庫郡住吉 (現神戸市東灘区) の自宅で洋裁:研究グループ 「皐会」発足
- カネボウのショーウインドーに田中千代が考案した服地のニューキモノを展示、話題となる
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- 5・15事件
- 上海事変
- 満州国の建国宣言
- 欠食児童ふえ、学校給食始まる
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1933 (昭和 8) |
- 阪急百貨店・小林一三社長の要請で、婦人服部の初代デザイナーとなる
- 7月、「新女性の洋装」を南光社より発刊
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- ナチスの台頭、ヒットラー総統になる
- 国際連盟から脱退
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1934 (昭和 9) |
- 1月 商工省嘱託および鐘淵紡績在外研究員としてパリに出発
- パリの服飾専門学校「エコール・ド・ゲール・ラビーニュ(現ESMOD)に学ぶ
- 洋裁研究グループのデザイン・クラス開設
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- 室戸台風
- 東北冷害、西日本霜害を受ける
- 軍需景気で工場増築
- 国産パーマネントが始まる
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1935 (昭和 10) |
- 田中千代デザインによるカネボウ初のフロアショーを帝国ホテルで開く
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1936 (昭和 11) |
- 皐会第1回の服飾作品発表会を大阪・三越で開催
- 5月 カネボウ京城 (現ソウル) サービス・ステーションの開設に協力
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1937 (昭和 12) |
- パリの「芸術と技術の博覧会」で金賞受賞
- 佐々木営業部 (現レナウン) の子供服デザインを引受ける
- 10月 兵庫県武庫郡本山村 (岡本) に学校形式の田中千代洋裁研究所を開設、職員は千代他4名、生徒60名
- 大阪YWCAで洋裁を教える
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- 7月、日中戦争始まる
- 中華民国、重慶に遷都。南京陥落
- プラスティックの食器が登場
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1938 (昭和 13) |
- 7月、商工省嘱託としてオランダ領東インド(現・インドネシア)に派遣され、日本の布地の使途調査と視察をする
- 10月、研究科(6ヶ月)新設
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1939年 (昭和 14) |
- 10月、生徒急増の為、新校舎として隣接の建物を借用、付属の建物を寄宿舎とする
- 師範科(6ヶ月)を新設
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1940 (昭和 15) |
- 3月 大阪大学理学部繊維科学研究所の付属機関として学園内に日本衣服研究所が発足、所長となる(〜1945)
- 7月、外務省文化事業部の推薦で衣服による国際文化親善をめざし、東アフリカ、南米を視察
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- 日独伊三国軍事同盟
- 米、味噌、醤油など10品目の切符制
- 紀元2600年式典
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1941 (昭 16) |
- 3月 日本衣服研究会主催 「民族と衣服」 を開催 (大阪・大丸百貨店、東京・三越百貨店)
- 6月 厚生省が中心となり婦人標準服研究会が発足、委員を委嘱される
- 8月 日本衣服研究所が沖縄の首里で琉球衣装の調査をする
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- 12月 米英に宣戦布告太平洋戦争始まる
- 国民勤労奉仕協力法令
- 六大都市で米の通帳制実施
- 小学校の国民学校令
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1942 (昭和 17) |
- 5、6月、厚生省より依頼を受け、婦人標準服講習会を大阪各所にて行う
- 12月、田中千代洋裁研究所創立5周年 (洋裁グループを含めると10周年) の記念誌を発行、祝賀会を神戸御影公会堂で開く
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- ミッドウェー海戦敗退
- ガダルカナル島撤退
- 衣料切符実施
- 東京、名古屋、大阪、神戸に空襲
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1943 (昭和 18) |
- 7月、大阪市主催 「女性と衣生活」 の講演会で改良もんぺの作り方を講演 (大阪市立戦時生活館)
- 10月 研究所内で勤労報国隊を結成
- 挺身隊として、蚊帳、作業服、落下傘袋を縫製、作業が早く終わった時には授業を行う
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- 女子勤労挺身隊として25才未満の女子動員される
- 国内産業の担い手女性に
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1944 (昭和 19) |
- 3月、各種学校として兵庫県で初の認可を受ける
- 近所の婦人達の要請によりモンペの作り方を教える
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- 国民登録の実施
- 学童の集団疎開
- 防空壕の強制
- 学徒勤労令
- ダイヤモンドの国家買上げ
- B29の空襲が本格化
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1945 (昭和 20) |
- 空襲が激しくなり6月半ばで休校
- 9月 朝日新聞の依頼で「今後の服装について」大阪・朝日会館で講演
- 9月26日 研究所再開を公表
- 10月、入学考査の実施(入学希望者が1000人をこえた為)
- 戦後初の入学式 (本山村公会堂)
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- 5月 第二次世界大戦休戦、独降伏
- 米軍沖縄本島に上陸
- 広島長崎に原爆投下
- 8月、太平洋戦争終結、日本無条件降伏
- 国際連合の成立
- GHQの東京進駐
- 財閥解体
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1946 (昭和 21) |
- 1〜7月、網膜剥離のため京大病院眼科に入院
- 10月 校章制定
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- 天皇の人間宣言
- 公職追放礼の公布
- 極東軍事裁判開始
- 戦後初の総選挙
- パーマネント再開
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1947 (昭和 22) |
- 佐々木営業部 (現・レナウン) 内に、田中千代デザインルームを開設
- 芦屋市大原町に300坪の土地と建物を購入、研究所を本山から移転
- 10月、田中千代デザイン・ルーム、戦後初のファッションショーを大阪・文楽座で開催 (佐々木営業部主催)
- 10月 15周年記念事業として洋裁移動教室を開催 (大阪・朝日会館)
- 「図解子供服全書 婦人画報版」を東京社より発刊。
- 「私の衣服研究」を婦人画報社より発刊
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- 日本国憲法の施行
- 6・3・3制を実施
- 教育基本法の公布
- 学校給食の実施
- 生活費のワク700円になる
- 姦通罪、不敬罪の廃止
- 東京ブギウギ大流行
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1948 (昭和 23) |
- 4月 財団法人田中千代学園として認可を受け、従来の研究所は「田中千代服装学園」となる
- 第二回 「デザイン・ルーム・ショー」 を開催 (大阪・毎日会館、東京・三越劇場)
- 田中千代洋裁チェーンが発足
- 奈良女子大学家政学部講師となり、意匠学を担当する (〜1957年)
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- インフレ徐々に収まる
- 帝銀事件
- 世界人権宣言
- 11月、極東軍事裁判終わる
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1949 (昭和 24) |
- 田中千代学園同窓会発足
- 田中千代 「世界風俗ショー」 を開催 (大阪・朝日会館、東京・共立講堂、高松市体育館)
- 「洋裁」(上・下) を学習図書より発刊
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- 中華人民共和国誕生
- デフレ政策進む (ドッジ・ライン)
- 満年齢の実施
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1950 (昭和 25) |
- 機関誌 「緑紅」を創刊
- 芦屋市大原町に校地1000坪を購入し拡張
- 主婦の友社主催「コドモ服とキモノのショー」(東京・読売ホール)
- 9月、ニューヨークへ遊学 (〜51・6月)
- 「十二単衣から現代まで」 と題したニュー・キモノ・ショーをブルックリン博物館、国連婦人会、ニューヨーク大学,日本人会で開く
- ニューヨーク大学アート・エデュケーション・デパートメントにおいて、衣匠学を学ぶ
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- 朝鮮戦争始まる
- 糸へん景気
- 繊維製品の自由化
- 物資の配給、価格統制、徐々に解かれる
- 官公庁のレッド・パージ
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1951 (昭和 26) |
- 私立学校法の施行に伴い、学校法人に組織を変更して、「学校法人田中千代学園」理事長・学園長となる
- 3月 アトランティックシティ(米)における、第一回インターナショナル・ファッションショーに招待出品
- 6月、ニューヨークより帰国
- 共立女子大学講師となり、意匠学を担当
- 日本で始めて、プロのモデルによる「帰国ファッションショー」毎日新聞社主催を開催 (東京・帝国劇場、大阪・メトロ)
- 「世界一流デザイナー作品集」を婦人画報社より発刊
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- 対日講和会議(サンフランシスコ)
- 日米安保条約調印
- 民間、民営の米屋が復活
- ILOに加盟
- 民間航空の復活
- LPレコード発売
- 公職追放の解除
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1952 (昭和 27) |
- 皇后様(香淳皇后)のデザイナーとして公式のお衣装を製作(〜1959)
- 4月、9月 ニューヨーク・パワーズ・スクールのモデルを産経新聞社が招聘し、「田中千代・グランド・ショー」を開催(東京・帝劇、大阪・歌舞伎座、サンケイ会館、京都、名古屋、福 岡、広島、岡山、高松)
- 神戸大学教育学部講師 (〜1961)。
- 創立20周年「ショーと天然色幻燈による服装史」を開催(大阪・朝日会館)
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- メーデー事件
- 破壊活動防止法の成立
- 義務教育費国庫負担
- PTAの発足
- 皇太子の立太子礼
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1953 (昭和 28) |
- 服飾研究のため、欧米を視察
- 6月 イギリス・エリザベス女王戴冠式を「サンケイ新聞」「週刊朝日」の特派員として取材
- 7月、クリスチャン・ディオールのオートクチュールの型紙をカネボウ顧問 (日本人初のバイヤー)
として、買い付ける
- 10月、購入した型紙でディオールの指示通り鐘紡の生地で製作し 「ディオール・ショー」 を開催
- サンケイ新聞、大阪新聞主催 「田中千代三つのテーマによるファッションショー」開催 (東京 帝国ホテル、大阪・サンケイ会館)
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- 奄美諸島の復帰
- NHK・TV本放送開始14インチTV17万円
- 日航機初の国際線就航
- 英国エリザベス女王の戴冠式
- 伊東絹子、ミスユニバース3位入賞八頭身ブーム起る
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1954 (昭和 29) |
- 神戸女学院大学教授となり、意匠学および被服構成を担当する(〜1971)
- 化繊協会主催 「化繊に親しむショー」 開催 (大阪・朝日会館)
- レナウンの服地で5点ずつデザインした既製服 「マンスリーファイブ」 を毎月発表
- 「友禅ショー」 (毎日新聞・英文毎日後援) に伊東茂平氏、桑沢洋子さんらと共に出品、東京、シカゴ、ニューヨークなどで披露
- 芦屋学園南校舎増設
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- 第五福竜丸、ビキニの水爆実験で被爆
- 自衛隊法成立
- 教員の政治活動規制
- 電気洗濯機の普及
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1955 (昭和 30) |
- 「リズムと共に」 をABC朝日放送より放送 (55年5月23〜59年2月末日)
- 11月、第一回「兵庫県文化賞」を受賞
- 「田中千代世界の民俗衣服ショー」を開催 (大阪・中之島中央公会堂、大阪女学院、神戸・山手学園)
- 「図解服飾事典」を婦人画報社より発刊
- 「皇后さまのデザイナー」を文芸春秋社より発刊
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- 日本生産性本部スタート
- 深夜喫茶大都市に急増
- ラッシュアワーに押し屋登城
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1956 (昭和 31) |
- 3月、第一回「産経服飾文化賞」を、杉野芳子さん、遠藤政次郎氏と共に受賞
- 九州田中千代服装学園(理事長松下幸之助)を開設、学園長となる(〜1972年)
- 学校法人名鉄学園・名古屋田中千代服装学園 (理事長土川元夫) を開設、学園長となる
- メルボルン・オリンピックを機に日本の繊維を紹介 「東洋衣装のファッション・ショー」 がメルボルン他、豪州の大都市で催され、ニュー・キモノなどを発表 (サンケイ新聞、カネボウ、東洋綿花共催)
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- 神武景気
- 貿易の復活・拡大
- 設備投資ブーム
- ソ連と国交回復・日ソ共同宣言
- 水俣病多発
- 原子力委員会発足
- メルボルン・オリンピック
- 合成洗剤の登城
- 国際連合に加盟
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1957 (昭和 32) |
- NHKラジオ・話の手帖に「デザイナーから見た皇后様」を語る (国際放送にも流される)
- 東京渋谷・東急文化会館4階に、東急経営の東京田中千代服装学園(理事長綾部健太郎氏)を開設、学園長となる
- 岸信介首相が新設した「文化外交懇談会」のメンバーに選ばれる
- 国際綿及び関連繊維業連合会主催の「国際コットン・ショー」がベニスで催され、カクテル・ドレスなど、12点出品
- 新宿・伊勢丹百貨店で「田中千代オリジナル子供服ショー」開催 (同店にコーナーを設け,販売する)
- 創立25年記念行事「世界の民俗衣装ショー」を開催 (芦屋学園、東京・東急パンテオン劇場、福岡・電気ホール、名古屋・名鉄ホール)
- 「服飾事典」を婦人画報社より発刊
- 「服装」 (田中千代監修) を婦人生活社より毎月発刊
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- 出生率の低下
- パート・タイム始まる
- 2DKブーム
- ソ連人工衛星のスプートニク打上げ成功
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1958 (昭和 33) |
- 12月 皇太子殿下(現天皇陛下)のご成婚に際し皇后陛下(香淳皇太后)美智子様(現皇后陛下)貴子様のお衣装を製作
- 「マドモアゼル」 (米国のモード雑誌) の日本特集のために田中千代のドレスを取材
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- 皇太子婚約
- 東京タワー完成
- 特急こだま運転開始
- 1万円札発行
- なべ底景気
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1959 (昭和 34) |
- 4月 NHKラジオで 「ご成婚のお祝いの言葉」 を語る
- 読売テレビ 「人生案内」 で今東光氏と語る
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- 4月、皇太子ご成婚
- 国連経済社会理事国となる
- 全学連国会に突入
- 伊勢湾台風
- ご成婚と関連してTVが普及、女性週刊誌も伸びる
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1960 (昭和 35) |
- NHKテレビ「世界の民俗衣装」に生徒と共に出演
- 世界デザイン会議に出席 (東京・サンケイ会館)
- 労働省職業訓練審議会委員(初代)を委嘱される(〜1979年)
- 東京・渋谷区渋谷に新校舎完成、東京田中千代服装学園 (現東京田中千代服飾専門学校) は東急文化会館より移転。経営が東急から学校法人田中千代学園となり理事長に就任
- 服飾研究のため、ヨーロッパおよび中近東に遊学7/18-10/24。パリでは秋冬オートクチュ
ール・コレクションの取材をする。この頃から10数年にわたり、取材の為年2回渡仏する
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- 岩戸景気
- 安保闘争盛んになる
- 全学連デモ国会に乱入
- 電気冷蔵庫普及
- インスタント食品続出
- カラーTVの本放送始まる
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1961(昭和 36) |
- 朝日テレビ 「日曜サロン」 に永六輔氏と出演、モードを批評する
- 「原色衣服大図鑑」 (田中薫・千代共著)を保育社より発刊
- サンケイ新聞の依頼で、奈良・法隆寺見学中のアレキサンドラ王女(英) を取材
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- ガガーリン、人工衛星で地球一周
- バレーボール「東洋の魔女」生れる
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1962 (昭和 37) |
- NHKテレビ 「BGのエチケット」に出演
- 民俗衣装収集と服飾研究のため、東南アジア各国を歴訪 (4/23〜6/7)
- 11月 創立30周年記念ショー「田中千代新作品と世界の民俗衣装」を開催 (東京・サンケイホー ル、大阪・フェスティバルホール,名古屋・名鉄ホール、九州・電気ホール)
- 東京学園に専攻科を新設
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- 貿易自由化開始88%
- 都市の住居難深刻
- 金融引き締め解除景気の回復化進む
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1963 (昭和 38) |
- 「日本の美」紹介のため国際文化振興会から日本文化使節として欧州に派遣され、バリのホテル・クリヨン、ボンの日本大使館、ローマの日本文化会館でショーを開く
(1/27〜3/10)
- サンケイ新聞の依頼で、関西滞在中のタイのシリキット王妃を取材
- ファッション・エディタース・クラブより、伊東茂平、杉野芳子、原田茂の諸氏と共に表彰される
- 東京都渋谷区神宮前に分館が完成し、研究室を芦屋より移転
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- 北九州市スタート
- 低金利政策を打出す
- ケネディ米大統領の暗殺
- 観光渡航自由化
- 繊維業界の不況深まる
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1964 (昭和 39) |
- アラブ連合共和国カイロにおける、第一回世界国際民族芸術祭に日本代表団団長の田中薫と共に参加、日本の着物や日本舞踊を披露
- ドイツのデュッセルドルフにて絹業協会主催のショーに出品
- NHKテレビ 「私の秘密」 に出演
- NHKテレビ 「くらしの窓」 に出演
- 読売新聞主催の講演会で 「日本の女性と洋装」を講演
- 朝日新聞主催、第一回朝日女性サロン講演会で「デザインの仕事に生きぬくよろこび」を講演
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- 東京オリンピック大会開催
- 企業の倒産増大
- 東海道新幹線開通
- 不況の慢性化
- ソビエトの首脳部交替フルシチョフからコスイギンへ
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1965 (昭和 40) |
- 「田中千代・夏の子供服」 を伊勢丹で発表
- 主婦の友の座談会「ヒノエウマ生まれ万歳」に出席
- 婦人公論の座談会「丙午女性の優雅な鼻息」に出席
- TBSテレビ圭三訪問 「丙午」 に出演
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- 日韓基本条約調印
- 米軍のベトナム北爆開始
- 日曜夕刊廃止
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1966 (昭和 41) |
- NETテレビ 「春夏秋冬」 に出演
- スイスおよびスイス航空の招待により 「エレガンス・スイス・1966」 のファッションショーに出席
- IGUラテン・アメリカ地域会議 (メキシコ) 出席の田中薫と共にガテマラ、メキシコ各地で民俗衣装の研究・収集
- 「田中千代ずいひつ ベストドレッサーへの招待」を婦人生活社より発刊
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- 紡績過剰設備廃棄
- メートル法完全実施
- 人口1億人突破
- 中国文化大革命
- 丙午で出生率25%減
- 3 C 時代 (カラーテレビ、クーラー、カー)
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1967 (昭和 42) |
- 3月 日本航空世界一周路線開設の記念行事として、ニューヨークで日本の布地による「田中千代・作品ショー」を開催
- NETテレビ木島則夫モーニング・ショーに出演 「服飾生活・学園創立35周年を迎えて」
を語る
- 財団法人日本万国博覧会協会のデザイン顧問を委嘱され協力
- カナダ万国博覧会視察のためモントリオールへ出発
- 学園創立35周年記念として田中千代作品ショー「江戸からSpace Ageへ」 を開催、(東京・日生劇場、大阪・フェスティバルホールをはじめ、名古屋、鳥取、芦屋、福岡)
- ・労働省技能者表彰審査委員 (初代) を委嘱される
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- 人口のドーナツ化現象始まる
- クレジット販売盛んになる
- 大量消費時代
- GNP世界第三位
- 日航世界一周路線を開設
- クレジット販売盛ん
- ヒッピーの出現 (アメリカから漸次世界へ)
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1968 (昭和 43) |
- 教育功労者として藍綬褒章を受ける
- 鐘淵紡績の特別顧問となる(〜1999年)
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- イザナギ景気
- 明治百年記念式典
- 大学紛争拡大
- メキシコオリンピック
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1969 (昭和 44) |
- 財団法人日本洋裁技術検定協会理事および中央審査委員会委員、同中央専門委員に就任
- 7月 アメリカのマイアミにおける「ミス・ユニバース世界大会」の極東地区代表審査員となりマイアミへ向かう
- 防衛庁の依頼により婦人自衛官の制服をデザインする
- 「田中千代服飾事典」を同文書院より発刊
- フジテレビ 「草柳大蔵ハプニング対談」 に出演
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- 日米繊維交渉
- 三億円事件
- 初の公害白書
- アポロ11号月面着陸
- 東名高速道路開通
- 大学法の施行
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1970 (昭和 45) |
- 財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会服装委員として、各種制服の応募作品の審査
にあたる(〜1971年)
- パリおよびニューヨークにおいて、服飾研究施設、服飾関係機関および学校を視察
(2/13〜28)
- 日本万国博覧会の開会式にデザイン顧問として出席
- カネボウ・三七ドレスによる田中千代デザインの子供服"スイートベル"を発表
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- 日本万国博覧会 (3/15〜9/13)入場者6400万人
- よど号ハイジャック
- 核拡散防止条約調印
- 日米安保条約の自動延長
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1971 (昭和 46) |
- 赤坂プリンスホテルで田中千代デザインの"カネボウ"スイートベル"(子供服)を発表
- TBSテレビ「ジャンボ・リレー対談」で斉藤栄三郎氏、扇谷正造氏と対談
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- 対米繊維輸出自主規制
- ドルショック
- 1ドル308円に
- 沖縄返還協定
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1972 (昭和 47) |
- 4月 東京・町田市に田中千代学園短期大学 (服飾科)を設立。学長および意匠学担当教授にな
る
- 学園創立40周年「世界の民俗衣服展」を開催 (東京・帝国ホテル)
- 日本毛織のコンサルタントとなる (〜1988年)
- スイス織物・刺繍輸出振興センターから「第11回国際ファッション・デザイン・コンテスト」の国際審査員として招聘され、渡欧
(2/15〜25)
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- 日中国交正常化
- 沖縄県発足
- 連合赤軍の「浅間山荘」事件
- 初の環境白書
- 横井庄一、グァム島で発見
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1973 (昭和 48) |
- 大阪市立美術館で開催された 「カネボウ世界の染織展」に民俗衣装を展示
- 毎日新聞の芸術賞を受賞
- NHKテレビ「趣味とあなた」"着る"シリーズに生徒と共に夫妻で出演
- 民俗衣装の研究と収集のためオーストラリアおよびインドネシアへ
- 「田中千代服飾事典」 (増補版) を同文書院より発刊
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- 中東戦争、オイルショックによる狂乱物価
- 金大中事件
- 振替休日の制定
- 地価高騰
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1974 (昭和 49) |
- 朝日カルチャーセンターで 「美しき高年時代オールドパワーの提唱」を講演
- 学園機関紙として、季刊[服装」を発行
- 日本毛織、滝本の共同企画で田中千代デザインのフォーマルウエア「Charm Ruby」を滝本で生産、販売、第一回新作発表会を大阪ロイヤル・ホテルで開催
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- GNP戦後初マイナス
- 不況迎える
- 田中金脈問題
- 雇用保険法成立
- 狂乱物価加速。千円亭主が流行語になる
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1975 (昭和 50) |
- 朝日カルチャーセンターで 「冠婚葬祭における交際のマナー」 を講演
- NHKテレビ 「文化展望」 "木綿"に出演
- 薫及び職員とヨーロッパ研修旅行
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- 新幹線博多迄開通
- ベトナム戦争終結
- 倒産、戦後最悪
- 沖縄海洋博覧会
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1976 (昭和 51) |
- 学校教育法の改正により専門学校として認可されたのに伴い、東京田中千代服飾専門学校、田中千代服飾専門学校、名古屋田中千代服飾専門学校となる。各校の校長に就任
- ソ連、東欧へ民俗衣装の調査および社会主義国のファッション視察旅行 (7/30〜8/28)
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- 国鉄、電話、50%値上げ
- 天皇在位50年
- ロッキード問題火を噴く
- マイカー1700万台
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1977 (昭和 52) |
- 職業訓練行政および学校教育に対する功労として勲三等瑞宝章を受ける。
- 朝日カルチャーセンターで 「冠婚葬祭」 を講演
- 朝日カルチャーセンターで 「アジアの服飾文化」 を講演
- NHKテレビ 「奥さんごいっしょに」 "ファッションから見た女の戦後史"
に学生と共に出演
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- 日本赤軍ダッカ事件
- 円高、ドル安
- 大不況で失業者111万人
- 戦後生まれ人口の過半数に
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1978 (昭和 53) |
- NHKテレビ 「奥さんごいっしょに」 で創立45周年記念ショーを紹介
- TBSテレビ 「モーニング・ジャンボ奥様 8:30です」 で創立45周年ショーを紹介
- 学園創立45周年ショー「地球は着る」を開催 (東京・帝国劇場、大阪・フェスティバルホール、名古屋・名鉄ホール)
- 週刊朝日愛読者大会 「マリー・アントワネットの夕べ」 で遠藤周作氏と共に講演
(東京・朝日講堂)
- 「世界の服飾デザイナー20人」 を源流社より発刊
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- ベトナム・カンボジア戦争始まる
- 米国、エジプト、イスラエルによる中東和平会談
- 伊豆地震
- 円高、貿易黒字で不況
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1979 (昭和 54) |
- 銀座シグナス開店一周年記念行事 「世界の民俗衣装展」に民俗衣装を展示
- 朝日カルチャーセンターで 「インド亜大陸の衣装」 を講演
- レディス・フォーマル 「Charm Ruby」 の"ゴールドラベル"発表
- NHK教育テレビ「私の自叙伝」に出演
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- ECが"ウサギ小屋の働きバチ"と日本人を指摘
- 日本経済底力目立つ
- OPECの石油再値上げ
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1980 (昭和 55) |
NHKテレビ 「喜寿を迎えられた皇后陛下」 に出演
日本テレビ木曜スペシシャル 「昭和の風説・皇后様喜寿おめでとう」に出演 |
- 団塊世代、ニューサーティーが話題となる
- モスクワ五輪ボイコット
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1981 (昭和 56) |
- 町田市立博物館で学園協賛の民俗衣装展「衣装に見る民族の知恵」を開催
- 「田中千代服飾事典」 (新増補版) を同文書院より発刊
- テレビ朝日「徹子の部屋」:にゲスト出演
- ラジオ大阪「旅のフィーリング」に出演
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- スペースシャトル「コロンビア」打上げ成功
- 英チャールズ皇太子結婚
- 行政改革
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1982 (昭和 57) |
- 9月 夫田中薫逝去
- 創立50周年記念ショー 「1932〜1982モードの歩み」 を開催 (東京・帝国劇場、大阪・サンケイホール、名古屋・名鉄ホール)
- 「学園50年史」を刊行
- 「心やさしく生きる」 源流社より発刊
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- 日米貿易摩擦深刻化
- 株価ダウ平均七千円を割る
- 日航機羽田墜落事故
- 日本の教科書問題、中国、韓国で火を噴く
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1984 (昭和 59) |
- 7月 田中千代コレクション 「装いの中の美学ー世界の民俗衣装展」 (神奈川県立県民ホール)を開催
- 産業教育百年記念教育功労者として表彰を受ける
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1985 (昭和 60) |
- 「世界の民俗衣装ー装い方の知恵をさぐる」 平凡社より発刊
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1987 (昭和 62) |
- 「田中千代服飾事典ー新語と増補」 同文書院より刊行
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1989 (平成元) |
- 田中千代民俗衣装コレクションをを社会教育、服飾文化の向上に役立てるため東京都渋谷区に「民俗衣装館」を設立
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1991 (平成 3) |
- 10月 東京都より名誉都民の称号を贈られる
- [田中千代展」−服飾のパイオニアーを開催 (芦屋市立美術博物館)
- 「新田中千代服飾事典」 を同文書院より刊行
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1992 (平成 4) |
- 繊研賞特別賞をわが国のファッション産業の基盤作りに貢献したとして、繊研新聞社より受賞
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1993 (平成 5) |
- 田中千代展 「服飾と共に歩んだ1932年〜1993年」を開催(田中千代短期大学)
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1995 (平成 7) |
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1996 (平成 8) |
- [田中千代 65年間の服飾教育と国際活動展」を開催(東京ウィメンズプラザ)
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1999 (平成11) |
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