日本で最初にファッションショーを開いたデザイナー、田中千代
日本で最初にファッションショーを開いたデザイナーである田中千代。
いつまでも色あせない輝きのあるデザインでファッション界に残した功績は多大です。
そんな田中千代が「美しい花には健全な根がある」という、基礎技術をしっかり身につける教育をする場所を設立したのが、今の田中千代ファッションカレッジです。
その信念は本校にしっかり根付き、多くのアパレル企業からも支持されています。
美しい花には健全な根がある
一度しかない人生を、豊かな愛情と変わらぬ信念をもって誠実に生き抜くことは、与えられた生命への応えであり、人生の使命でもある。
伝統の中にも現代にも通用する価値を見つけつつ、新しい時代に向かって革新を進めていき、社会に自らを柔軟に対応させながら生きていく中にこそ、自らの幸福はある。
さらに、自分の幸福とともに社会全体の幸福を願って生きるところにこそ、真の幸福は生まれるといえるだろう。
ささやかであっても、社会のために役立つ自分となる。そのためには建設的な勉学が必要である。若い時代にこそ、この大切な基礎作りの唯一の時なのである。
生涯服飾の分野に身を投じ、時代のスタイルを作った女性
22才の欧米留学で自分の道を決意
1906年8月東京生まれの千代は、結婚後の1928年から3年間、ファッションを中心にデザインを欧米で勉強した。
ファッションに興味を持つきっかけは、このヨーロッパへの初船旅で出会った民俗衣装と、
滞在中パリで目にしたオートクチュールに始まるさまざまなファッションや、数多くの絵画などの芸術に触れたことであった。
バウハウス精神を源流に
特に影響を受けたのはチューリッヒのデザイン学校校長のハスハイエ先生で、デザインを基礎から学んだ。
千代の根底に流れるバウハウスの精神と“美しい花には健全な根がある”という考え方はこの先生の教えで、
当学園の建学の精神になった。1932年から、鐘紡のデザイナーと、自宅での洋裁教室「皐会」(後の芦屋と東京の専門学校、当短大に発展)で教えることを同時に始めた。
欧米での勉強が役立ったことは言うまでもない。教えていくうちに、英語など外国語が多い専門用語の説明の必要性を痛感し、服飾事典を作ろうと決意し、完成させた。
民俗衣装収集の旅
1928年の船旅は、アジアからアラビア半島の港々に寄港しながらの旅で、
各地に伝わる民俗衣装を目の当たりにし、生活の知恵にあふれ、さらに美しく、
なんとアイディアにあふれていることかと感銘を受け、民俗衣装収集研究にも力を注いだ。
ニューヨークで作品ショーを開催
今から42年前1967年に、田中千代はニューヨークで作品ショーを開催した。
日本の伝統的な着物や帯の生地を使ってデザインし、EAST MEETS WESTとその感覚が絶賛を博し、ニューヨークタイムズも大きく取り上げた。
それはビートルズが初来日し日本中が熱狂した翌年であり、ミニスカート旋風が吹き始めた頃であった。
田中千代学園創立35周年記念ショー
4か月後に日本で開いた、田中千代学園創立35周年記念ショーでは、ニューヨークでの発表作品と共に、当時ニューヨークで最先端のビニールやラメの生地で作ったミニドレスなどを加え、こちらも大好評であった。
この所ずっと人気の高いミニスカート、最近では着物や帯の生地、帯あげなど、新しい感覚で取り入れた服や小物が隠れたヒットアイテムになっている。
こうしたトレンドとも呼応するが、時代の息吹に彩られた素晴らしいエスプリの生きた作品で構成されていた。